顕微鏡写真: 犬のWater artifact

大学三年生の頃だった気がしますが、はじめて血液塗抹の引き方を教わりました。塗抹を引く練習をしているとついつい美しく引けたかどうか、フェザーエッジ(引き終わりの端っこの方)を光に透かして眺めたくなってしまいます。しかしそうではないと先輩から言われたのを覚えています。大切なのは血液塗抹を引いた後に一心不乱にパタパタすることだと。インナーマッスルを駆使しながらなるべく全力で。時に振りすぎて、机にスライドガラスが当たって砕けたりしたこともありました。

これは塗抹を引いたことがない一般の方には全く理解できないことと思われますが、スライドガラスをうちわのようにパタパタ振って乾燥させるのが古典的で重要なのです。乾燥不足の状態で染色工程に移りますと、以下のように赤血球表面にWater artifactとかDrying artifactと呼ばれる穴が開いてしまうのです。見え方によってはそれが感染性微生物のように見えることもあるので注意が必要です。

イヌ末梢血-Water artifact、対物レンズ100倍、Diff-Quik染色

紹介しておきながら、この塗抹の写真はそんなに激しくはないWater artifactです。とにかく赤血球の中心部がすこんと抜けてしまって背景の白さがくっきり見えてしまうのがアーティファクトとなります。そしてこの写真は細菌塊のように見えてしまう青紫色の染色カスも沢山載っているし、フィブリン塊みたいなのも右下の方に見えているし、アーティファクト盛りだくさんで褒められた写真ではないですね。反面教師と言うことで。

一時期、塗抹をパタパタするのが非効率的でかっこ悪いような気がして、塗抹作成直後にドライヤーの冷風を使って乾燥させてみたこともありました。しかしなぜか分からないですが、パタパタの方がドライヤーよりもWater artifactが少ないように思うのです。特に貧血症例の血液は赤血球が少なくてサラサラしているせいか、当社比2倍くらいの長さでパタパタするのが一番きれいに乾かすことが出来るように思います。誰かその理由を教えてほしいです。

ものの本によれば、海外ではヒートブロックなる岩盤浴のような温かい板の上に載せて塗抹を乾かすこともあるようです。ヒートブロックの温度は58℃と書いてあるものを見かけましたが、そこにあの薄っぺらなスライドガラスを載せたり回収したりするのはいったいどうやってやるんでしょうか。素手で触れないような気がします。しかしながら、ドライヤーですら僕は満足いかないので、きっとヒートブロックはそんなに速やかに乾燥させてくれないような気がするんですよねぇ。

イヌ骨髄塗抹-water artifact、対物レンズ100倍、Wright-Giemsa染色

この骨髄塗抹の写真なんかは、矢印に示した細胞以外にも、ほぼすべての赤血球がWater artifactでボロボロです。見ようによってはバベシアみたいに見えてしまうので良くないですね。骨髄塗抹を引く時は凝固が早くて時間勝負なので、周囲にパタパタしてくれる協力者がいないとこの写真みたいな塗抹が出来てしまうので気を付けないといけません。沢山の塗抹を同時にドライヤーの風で乾かしてやろうとすると塗抹が風で吹き飛んだり、塗抹を引いている現場の方に風が来てしまって骨髄液が凝固しそうになったりして大騒ぎになります。

したがって、僕は明日からも塗抹を引いた後にパタパタし続けようと思います。でも僕が塗抹を引くだけ引いて他にやることがある場合、周囲の人がパタパタしといてって頼まれたりすることもあります。たまに、いつまでパタパタしといたら良いんだろう…って5分後くらいに視線で訴えられることがありますが、それは完全に僕の指示漏れです。血液塗抹なら30秒くらいで結構ですから、この場を借りてお詫び申し上げます。