英論文紹介: 犬にもTRALI?
今年も間もなく上半期が終わろうとしています。すっかり梅雨めいてジメジメと気が滅入る日が続いておりますが、人も動物も熱中症には気を付けて過ごすようにしていきましょう。さて、今月の英論文紹介に早速いきたいと思います。私が更新している日本獣医輸血研究会のホームページもあわせてご覧ください。
今回は輸血関連急性肺障害(TRALI)に関する一例報告です。欧米の方の発音を聞くとトゥラァリと聞こえますが、日本ではトラリと読まれているように思います。かわいらしい語感に聞こえないこともないような気はしますが、日本語の名称をみて分かるように大変重篤な輸血の呼吸器に対する副反応です。主に血液製剤の血漿中に含まれる抗白血球抗体や生理活性物質が、患者の白血球を活性化させて肺の毛細血管内皮細胞を障害することにより、非心原性肺水腫をおこすと考えられています。
鑑別すべき輸血関連の急性呼吸困難と言えば輸血関連循環過負荷(TACO)が挙げられます。欧米ではタァコゥ、日本でもタコと呼ばれてなんだか蛸みたいで間が抜けたようなニュアンスを受けますが、こちらもやはり命にかかわる重篤な輸血副反応です。TACOの本態は心原性肺水腫であり、心機能不全を有する患者さんに血液を急速あるいは大量に輸血すると、循環に負荷がかかりすぎて肺胞に水が溢れてしまう訳です。
TACOの方は獣医学療域でも比較的に遭遇することのある輸血副反応ですが、TRALIに関しては論文ベースでも詳細に検討がなされた報告はほとんどありません。TRALIが少ない理由に関して明らかなことは分かりませんが、ひとつ言えることは主に犬や猫のドナーに出産経験が無いからだということは示唆されています。すなわち、医学の方だとTRALIは出産経験の多い女性が血漿製剤のドナーになった場合に生じやすいと言われていて、国によっては血漿製剤のドナーに男性を優先的に使用しているところもあるそうです。
そして、そもそもですが、医学の方でもTRALIはそこまで頻発するものではないようで、日赤の2012-2016年のデータでは、血漿製剤690,000本につき1件程度の頻度だとか。安全対策が講じられて年々発生頻度が減っている様子ですが、これだけ珍しいとはたして犬や猫のTRALIに私が生きている間に会うことはあるのか自信が無いくらいの低頻度な気がしてきました。いや、会わないのが一番幸せなのですが。
そんな珍しいTRALIに、犬で遭遇しましたというのが今回の論文です。スイスのチューリッヒ大学の先生方からの報告です。確かに輸血後に急性の呼吸困難を呈した症例がTACOではなく、肺炎や肺出血などその他の病態でもなく、治療経過も対症療法のみで比較的セルフリミットに数日で良くなっているあたりから、除外診断でTRALIではないかと結論付けていました。
確かにTRALI風ではあるのですが、個人的にはなんだかもやもやします。除外診断だからでしょうか。抗白血球抗体の存在を証明したり、炎症性サイトカインが肺の毛細血管内皮細胞の障害を引き起こしているような組織所見があれば、ついに獣医学領域にもTRALIの波がきたかと血が沸き立つところですが、玉露とまではいいませんが普通の煎茶を淹れるくらいの温度感です。でもこの筆者たちのような経験をしたらそんなことは言ってられないですね。大変貴重な症例報告ですから、明日はわが身ということで輸血による急性呼吸困難は常に警戒していかなければと身が引き締まる思いです。
ちなみに今回紹介した論文が掲載されている雑誌の名はSchweizer Archiv für Tierheilkunde(シュバイツァー アルヒーフ フューア ティーアハイルクンデ)と言いまして、ドイツ語でスイス獣医学雑誌みたいな意味だと理解しました。本文は英語だったのですが、要旨が英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語で書かれていて、どういうことかと調べてみました。まったくの無知だったのですが、スイスの公用語はドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つあるそうですね。ロマンシュって何ぞと思いましたが1%の方しか使っておらず、もっとも多いのはドイツ語で65%の方が使われているそうです。この雑誌に私が投稿しようとしたら、要旨は4言語で書かなければいけないのかと考えると遠い目になります。AIに英語から各言語への翻訳を頼むとしても、完成品の精査ができないから困りますね、、さて、今月の論文紹介は以上です。来月もよろしくお願い致します。