文化祭

先日、休診日に少し時間が取れたので母校の中学校の文化祭を同級生と一緒に見学してきました。

中学校のときに何をしていたかなぁと思い返してみましたが、陸上部に入部してわりと毎日練習に明け暮れる日々だったことは覚えています。足はたいして速くなかったですが小学校の授業で走り高跳びが好きだったので、走り高跳びを選んで大会に出ていました。走り高跳びを専門として教えてくれるような指導者が普通のいち陸上部にいる訳ではありませんし、YouTubeはもちろんインターネットもまだそこまで普及していなかったので、図書館で走り高跳びの本を借りてなんかあーでもないこーでもない言いながら一人で練習していました。背面跳びで170cmが自己最高記録だったのを覚えています。今の時代だったらスマホとかで自分の跳躍している様子を動画撮影できたりして良い練習になりそうですね。

勉強もそれなりに頑張っていたと思います。英語が得意だったかなぁ、、大学受験のときは数学が好きだったんですよねぇ。中学のときはどうだったかなぁ。美術の授業は結構ニガテな方だったのですが、なんか黒い板をガリガリ削るの、、、調べてみたらスクラッチボードというらしいですね。それで雄牛の絵を描いたら褒めてもらって廊下に飾られていたような。国語とか理科社会の思い出は皆無だなぁ、先生ごめんなさい。小学校の国語なら、ちいちゃんのかげおくり、赤い実はじけた、ふきのとう、えいっ、とか色々覚えているんだけどなぁ。「一本の鉛筆の向こうに」で紹介されていたスリランカ人であるポディマハッタヤさんとかすごくよく覚えています。ちなみに調べてみたらポディマハッタヤさんが2021年にコロナ禍で亡くなっていたそうで、、悲しい。ご冥福をお祈り申し上げます。

将来獣医さんになりたいという中学生の参考になればと思って中学校の頃を回想してみましたが、記憶がおぼろげすぎて何も参考になりませんね。さておき、もう卒業から25年経ちますので、校舎もすっかり新しくなっていて自分がどこにいるのか浦島太郎状態に陥りつつ友達と学内を散策していたら、なんと中学校二年生のときの担任の先生と遭遇したのです。驚き。三度見くらいして勇気をもって声をかけさせて頂いたら、やはり恩師の先生でした。身体を壊すことなくお仕事を続けていらして嬉しい限りです。当時、確か少し社会人経験を経てから着任一年目の先生だったんです。だから初めての授業参観のとき、親の前で先生が汗をかきかき頑張っていたのを生徒ながらに微笑ましく眺めていたことを覚えています。もう今ではすっかりベテランの風格を漂わせていらっしゃいました。

そして先生の口から、一緒に行った友人の名前や当時の同級生のエピソードトークがすぐ出てきたことに驚きました。学校の先生って凄いですね。残念ながら私が名乗ってもピンと来ていない様子だったのはそっと胸にしまっておこうと思いますが、きっと先生の手を煩わせることのないお利口さんだったからでしょう。一緒に行った友人は苗字が少し特徴的で覚えやすいですし。き、きっとそういうことでしょう。さておき、当時の私に大人になったら獣医になってるよと話してみたいものですねぇ。当時そんなことは夢にも思っていなかったので人生って不思議なものです。スティーブジョブズが有名なスピーチの中で「Connecting the dots」って言っていましたが、いま振り返れば恩師の先生との出会いや友人との交流が、結果的に自分を構成する上での糧となっているのかもしれませんね。それでは、11月はもっと寒くなることと思いますので、皆さまどうぞご自愛くださいませ。